10 美しい母の顔
私の母の顔、正確に言えば、右のほお一面が大きくただれています。それはヤケドのあとです。
どうしてヤケドをしたのか聞いたこともありましたが、母はいつも笑いながら、子供の頃ヤカンを
ひっくり返してこうなったのだ、と説明してくれていました。
でも、私の母のヤケドのあとが大きらいで、小学校に入った頃から、なるべくお友達に見られな
いように、いつも心を砕いていたのです。「あんたのお母さん、おばけみたいだわね」と言われる
ような気がしてならなかったからです。ですから、PTAなどの集まりのときでも、向こうからお友達が
来ると、私はすーっと母から離れて、まるで他人のようなそぶりをとってきました。
今思うと、どんなにか母は淋しく、うらめしい気持ちだったことでしょう。お友達の誕生日によ
ばれることは何回もありましたが、私の誕生日は、いつも父と母と私だけでした。「たまにはお友達を呼んだら?
お母さん、おいしいケーキを作ってあげるわよ」と母が言ったこともありましたが、「そんなこと。はずかしくてお友達なんか呼べないわ」と私が怒ったので、翌年からは、母は何も言いませんでした。
先月のことです。家庭科の宿題を置き忘れたまま、学校に来てしまいました。昨夜遅くまでかかって縫ったのに、
朝寝坊してあわてて家を出てきたからです。一時間目の途中で気がつき、家に取りに帰ろうかどうか迷っていました。家庭科の授業は三時間目。先生のお話もよく耳に入らないまま、一時間目が終わり、休み時間になりました。
そのとき、「ね、M子さん、お母さんが廊下に来ているわよ」と誰かに言われました。
私は「あっ、宿題を届けてくれたんだわ」という、ほっとした気持ちと同時に、「そうだ、お母さんの顔がみんなに見られてしまう」という気持ちとがごちゃごちゃになって、廊下に飛び出しました。廊下には、母が宿題をもって
立っていました。
「M子ちゃん、これ、忘れたでしょう」と風呂敷包みを差し出しました。私は廊下を通る人たちがみんなして母のヤケドを見つめているような感じがして、顔がまっ赤になりました。
「お母さん、学校へ来ちゃ駄目って、あんなに言っておいたでしょう」と怒鳴りました。
母はにこにこしながら「そう、わかっているけれど、でも、これ宿題なんでしょ。せっかく夜遅くまで頑張ったんだもの、忘れて困っていると思って」と言いました。
私はその包みを乱暴にうばい取って「そんなおばけみたいな顔で、いつまでもいないでよ!」と、また怒鳴り、後ろも振り向かずに教室にかけこんでしまいました。
席に着いてからも、しばらくは気が落ち着きませんでした。お友達に母の顔を見られたのが、とてもたまらなかったのです。つらい気持ちで帰って行く母の心を思う余裕など、全くありませんでした。あっちでもこっちでも、母のヤケドについて、みんなが陰口をきいているのではないか、気の重い、それはとても長い一日でした。
そして、その日、夕飯が終わったあとのことです。父が、「M子、お前に話しておきたいことがある」と言いました。私はすぐに今日のことだな、と思いました。しかし、父はそのことには一言もふれずに、静かに話し始めました。
「お前がまだ一歳の時の冬だった。お父さんは宿直で、その晩はお母さんとお前の二人だけだった。夜中、『火事だあ』という近所の人の声で、お母さんが目を覚ますと、もう周りは真っ赤になっていた。隣の家から火が出たんだね。家がくっつき合っていたから、すぐにうちまで火が回ってしまったんだよ。驚いて飛び起きたお母さんは、寝巻のまま、お前を抱きかかえた。お前は、わあっ、わあっと泣き叫ぶ。お母さんはそばにあったお前の着物と、それにおもちゃ、これはお前が気に入っていたお猿のおもちゃだった。これをつかんで、夢中で逃げようとしたが、どこも火に包まれて逃げ場がない。とっさにお母さんは、お前を下に置いて、毛布ですっぽり包み、しっかり抱きしめたまま炎の下をくぐって、やっとのことで、おもてに逃げだすことができたんだよ。M子、お母さんの顔をよく見てごらん。そのヤケドはね、実は、その時のヤケドなんだよ。」
私は、初めて聞くそのお話に、息もできませんでした。母は「お父さん、もう、そんなお話、昔のことだからいいのよ。」と、うつむいたまま言いました。
「うん、しかし、いつかは話をしておいたほうがいいと思ってね。M子、なんで、今までほんとうのことを言わなかったのかというとね、お母さんが、『私のヤケドが、M子を助けるためにできたんだなんて、もし思うと、何だか気になるだろうし、いつまでも心に負担が残るんじゃないかしら』って、ずっと言い通してきたから、ついに今日まで、自分でヤカンをひっくり返してヤケドしたっていうことにしていたんだよ。M子、お前の顔が、そして肌が、すべすべしていてこんなにきれいなのも、お母さんが、ぬれた毛布でお前を包み、しっかと抱きしめたまま、必死で逃げてくれたからなんだよ。だからね、お父さんは、いつもお母さんの顔のヤケドを見ると、心の中で『ありがとう、ありがとう。よくM子をきれいなままで救ってくれた。ほんとうにありがとう』って、お礼を言っているんだよ。」
私は、あとから、あとから流れてくる涙をどうすることもできませんでした。
「ちっとも知らなかった。ちっとも知らなかった。」
私のほおは、もう涙でグシャグシャになっていました。
「おかあさん!」
母のひざに飛びついた私は、顔をそこにうずめたまま、まるで小ちゃな子みたく、ただ「おかあさーん」「おかあさーん」と泣きじゃくるばかりでした。
「お母さん、ありがとう」も「今までのこと、ごめんなさい」も、胸がつまって言葉になりませんでした。
母は「いいのよ」「M子ちゃん、もう、いいのよ」そう言いながら、私の髪を、何回も何回も、やさしくさすってくれていました。
母の顔にあるヤケド。今では私の誇りです。私への愛のしるしなのです。だから、よそのどんなきれいな顔のお母さんよりも、私は、私の母の顔を美しいと思っているのです。